平野啓一郎『ある男』(文春文庫、2021)
都城市で開催された平野啓一郎氏の講演会について書いたが、宮崎なので当然『ある男』の舞台設定のこともちらっと話に出てきた。なんでも、平野氏は執筆に際して西都に取材に訪れたのだが、文房具屋は市内に2軒しかなく、はっきり書いてしまうと関係者に迷惑がかかってしまいそうなのでS市という表記にしたのだそうだ。こんな微妙な配慮をするくらいなら最初からもっと大きな地方都市を選べばよかったのではと僕なんかは思うのだが、おかげで宮崎に注目が集まり、間接的であるとはいえその恩恵を受けている一市民としてはたぶん何も言っちゃいけないのだろう(笑)。ちなみに、西都には入船という鰻の名店がある。僕は一度だけ行ったことがあって、文字どおりほっぺたが落っこちた。下手すると数時間待たされることになるが、それだけ待つ価値は十分にあるので、県外から西都原古墳群やコスモスを見に来られる方はぜひ立ち寄ってみることをおすすめする。
『マチネの終わりに』は国際社会を舞台にした美しくもほろ苦い恋愛小説だったのに対し、『ある男』は単色、それもグレイ一色のイメージである。どちらが好きかと問われると、個人的には総合小説的なスケール感のある『マチネの終わりに』の方だが、推理小説の枠組みを援用し、追う者と追われる者の人生を交錯させながら「個人にとって過去とは何か」という一個の主題をじっくりと突きつめていく本作は、平野氏の作家としての力量をあらためて示してみせる最良の作品群のひとつになりえていると思う。クラシック音楽の『マチネの終わり』とは対照的に、『ある男』に登場する音楽はR&Bやソウル、ロック、ジャズで統一されているが、個人的にはこういう良くも悪くも地に足がついたジャンルのほうがしっくりくる。複数の旋律を折り重ねて豊かなハーモニーを奏でるよりも、ときにはシンプルなコード進行やリズムの方が圧倒的な説得力を持つことだってあるのだ。
最初に序文が付してあるが、物語を読み終えたあとでもう一度読み直してみると、そこに書いてあることの意味がよくわかった。主人公の弁護士・城戸章良は谷口大祐になりすましていたX(ここでは意図的に正体は伏せておく)へと迫っていくなかで、なかば不可避的に、在日三世としての自らのアイデンティティの問題に直面していく。そして、そんな城戸とバーで知り合い、個人的な興味から彼の姿を物語をとおして追いかけていく語り手(=平野啓一郎)がいて、さらにはそんな語り手の「背中にこそ、本作の主題を見る」であろう、われわれ読者が存在する(p11)。序文ではルネ・マグリットの『複製禁止』について言及されているが、個人的な興味や動機から他人に近づき、その人物になりたい、その人物の生を生きたいとすら願う個人の果てしない欲望の連鎖というものが本作の主題のひとつであると僕自身は読んだ。
こういうふうにまとめると、たとえばポール・オースターの『幽霊たち』や安部公房の『燃えつきた地図』のような追う者と追われる者の関係性を軸としたポストモダン小説が想起されるかもしれない(前者については平野氏自身が『小説の読み方』(PHP新書、2009年)で取り上げている)。しかし、この作品は城戸の家族生活上の問題やX、それに里枝の人生を丁寧に描いており、大部分がその描写に費やされていること、そして他人になりすましたい、他人の生を生きたいという根拠をその描写のなかに見出そうとしていることを考えると、作為的な感じはほとんどなく、社会派リアリズム小説といっていいと思う。関東大震災が起こったときに朝鮮人を割り出す言葉として「十五円五十銭」なるものが使われていたというのは初めて知った(p133)。映画『福田村事件』が昨年話題になったが、このあたりのことを僕はほとんど知らないので勉強しなくてはいけない。
『―愛にとって、過去とは何だろうか?……』(p53)という城戸の自問の答えを出すかのように、小説は里枝と息子の悠人が真実を知り、谷口大祐=Xと過ごした時間の意味を再確認するところで終わる。過去は決して不動のものではなく、未来によって書き換えられることがある。そして変更を加えられた過去が再び現在や未来に影響を及ぼしていくというのは、『マチネの終わりに』でも登場人物たちが議論する描写があった。平野氏にとって大きな関心ごとであると思われるこの点がどうなっているかを知るためには、現時点での最新作、『本心』を読む必要がある。
個人的に、「はなちゃん、こうおもうよ。」がツボにはまる。いやいや、子どもはこんなしゃべり方しないだろ……と思ってしまうのは、僕に子どもがいないからだろうか。小さなお子さんをお持ちの方々、誰か教えてほしい。悠人とはちがって、花ちゃんや城戸の息子の颯太がそれぞれの事情をきちんと理解できるようになるのはまだ少し先のことだろう。過去の意味をテーマとする重たい作品をちょっとだけ明るくしているこれらの子どもたちはいちばん遠くの未来まで進んでいって、そしてふりかえったときに、自分たちの過去をどう受け止めるのだろうか。
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