宇多田ヒカル・Kアリーナ横浜公演(8/31)レポート

2024年9月12日

8月31日(土)にKアリーナ横浜で開催された宇多田ヒカルのライブに行ってきた。まずチケットが当たったことがそもそも幸運。それに、ちょうど台風10号が九州を抜けるタイミングでのフライトだったので直前までヒヤヒヤしていたのだが、現地での電車運行状況も含めて特に問題はなく、これもまた幸運だったと思っている。

HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024と銘打たれたツアーで、前回のHikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018からじつに6年ぶり。あのときは12月の幕張メッセで参戦したのだった。デビュー25周年記念ということで、セットリストはきっちり前半が『First Love』(1999)から『HEART STATION』(2008)まで、後半が『Fantôme』(2016)から『BADモード』(2022)までで、アンコールを含めて全23曲。この4月に出たベストアルバムに含まれていない曲も多く、昔からのファンとしては感慨深いものがあった。以下にセットリストをまとめておく。

<前半>

1. time will tell (1st『First Love』)

2. Letters(3rd『Deep River』)

3. Wait & See ~リスク~(2nd『DISTANCE』)

4. In My Room (1st『First Love』)

5. 光(Re-Recording)(ベストアルバム『SCIENCE FICTION』)

6. For You(2nd『DISTANCE』)

7. DISTANCE -m-flo Remix-(シングル「FINAL DISTANCE」)

8. Traveling(Re-Recording)(ベストアルバム『SCIENCE FICTION』)

9. First Love (1st『First Love』)

10. Beautiful World(5th『HEART STATION』)

11. COLORS(4th『ULTRA BLUE』)

12. ぼくはくま(5th『HEART STATION』)

13. Keep Tryin’(4th『ULTRA BLUE』)

14. Kiss & Cry(5th『HEART STATION』)

15. 誰かの願いが叶うころ(3rd『Deep River』)

<後半>

16. BADモード(8th『BADモード』)

17. あなた(7th『初恋』)

18. 花束を君に(6th『Fantôme』)

19. 何色でもない花(ベストアルバム『SCIENCE FICTION』)

20. One Last Kiss(8th『BADモード』)

21. 君に夢中(8th『BADモード』)

<アンコール>*

22. Electricity(ベストアルバム『SCIENCE FICTION』)

23. Automatic (1st『First Love』)

パーソネルはヘンリー・バウワーズ=ブロードベント(Gt, Key, Perc)、大森日向子(Key)、ベン・パーカー(Gt)、セイ・アデレカン(B)、アイザック・キジト(Dr)。ゲストとしてMELRAW(Sax)、アオイツキ(ダンス)

*千秋楽となる9/1は「Electricity」、「Stay Gold」、「Automatic」の3曲。「Stay Gold」、聴きたかった…

Kアリーナ横浜は昨年9月に開業したばかりの新しいアリーナで、収容人数は約2万人。音響はすばらしくよく、宇多田ヒカルというJ-POPを代表するアーティストの25周年のトリを飾るにはふさわしいハコといえるだろう。特に重低音がすごく、体幹にまで伝わる心地よさ。僕はLEVEL3・LOWER STANDのステージ正面が左手に来る位置から見ていたのだが、遠すぎて宇多田がまめ粒のようだった前回の幕張メッセと違って、今回はしっかり人型だったので感動した。

なにせ、あの宇多田ヒカルである。自分のなかで宇多田は他のどのアーティストとも比較することのできない、特別で孤高の存在だ。ある意味で、彼女の音楽を聴きながら大人になったような感覚すらある。宇多田が『First Love』で一世を風靡しているころ、僕はようやく小学校にあがったくらいの年齢だったが、ラジオから流れてきた「Automatic」が他の日本語の歌と比べて明らかに異質なものであると感じたのはよく覚えている。

アンコールの最後に演奏されトリを飾った「Automatic」。ステージには黄色いイスが置かれる心憎い演出も。

英語は当然聞き取れない。しかし、日本語も聞き取れないのである。聞き取れない日本語の歌というのをそれまで聞いたことがなかったので、自分にとってはなんとなくエキゾティックだった。「Movin’ on without You」に「いいオンナ演じるのは/まだ早すぎるかな」というフレーズがあるが、女なのに女を演じるってどういうことだろう?と真剣に意味がわからなかった僕も今年で32歳である。25年間はあっという間だった。そのあいだに早熟な16歳のアーティストは41歳の母親になり、僕も中年の世界へと足を一歩踏み入れた。

自分の意思で音楽を聴くようになった中学時代には『First Love』から『ULTRA BLUE』までの4枚のアルバムを繰り返し、繰り返し聴くほどのめりこんだ。そして高校にあがる前の春休みにリリースされた『HEART STATION』はポップソングの作品集としては完璧だと思ったし、なんなら今でもそう思っている(好きなアルバムを3枚選ぶとしたら、僕は『Deep River』、『HEART STATION』、『Fantôme』で決まりだ)。当時の宇多田はすごかった。まだ20代なかばにして、さながら熟練のポップス職人といった感じで、アルバム1曲1曲の質の高さはさることながら、僕の中にあるあらゆる感情が揺さぶられる。宇多田ヒカルの音楽はひとことでいえばemotionalだ。音楽そのものがさまざまな感情を帯びている。あの声がなければこれほど強く惹かれはしないだろうけど、仮にメロディに歌詞がなかったとしてもたぶん多くの人の心を動かすのではないか。

こんなにすごいものを出してしまうとあとが続かないのでは?とも思ったが、その後、宇多田は2010年から16年にかけて「人間活動」に専念するために活動を休止する。正直、このままどんな高みまで登っていくのだろうと、怖いものすら感じていたので、あっさりと活動休止に至ったのは宇多田らしいともいえる一方で、拍子抜けしたのだった。そして活動再開後にまずリリースされたのが『Fantôme』というアルバム。長い活動休止期間だったのもあって、世間的にもエヴァンゲリオン関連以外ではほとんど話題にならなかったと思うし、正直、僕のなかの宇多田熱も冷めきっていた。だから最初はそれほど期待せずに聞いてみたのだが、自分の予想をはるかに超えて、宇多田は先へと進んでいたのだった。

「時代と関係のないところで生きてきた」というのは宇多田の有名な発言だが、すくなくとも『Fantôme』はきっちりと時代の音(=流行の音)を取り入れているし、オーガニックな手触りでとても温かみがある。以前の宇多田であれば、「花束を君に」のような曲は書かなかっただろう(個人的に、これは宇田が書いた最良の曲のひとつだと思っている)。この変化には、母親を失ったこと、そして母親になったということも大きく関係しているだろう。次作の『初恋』、そして『BADモード』も基本的には同じ流れにある作品だが、妙な言い方をすれば、宇多田ヒカルはどんどん外へと開かれてきているのと同時に、本質的な部分は今も昔も変わらず内に閉じられている気がする。決して誰とも打ち解けず、混じり合わず、宇多田自身も謎であると感じているかもしれない領域がある。でも、そのような心地いい閉じこもり方にこそファンは安らぎを見出すのだろう。

セットリストはあえていっさい調べずに、情報ゼロのままでライブに臨んだ。そのほうが面白いに決まっているからだ。自分なりにかならずやるだろうと予想したのは、「Somewhere Near Marseille~マルセイユ辺り~」(Sci-Fi Edit)、「何色でもない花」、「Electricity」、「First Love」だったが、「マルセイユ」のみ外れた。この曲をやれないというのは、ある意味でJ-POPの限界を示しているような気がする。最近の宇多田はもはや普通の曲は作り飽きて、ひたすらリズム的な実験を繰り返しているようなところがあるが、自分としてはこの方向性はいたく気に入っている。いい意味で演出が過剰、ぶっ壊れているとしか思えない「One Last Kiss」は、絶え間ない光の明滅とともに僕の眼に焼きついた。「time will tell」の穏やかな白い光から、「君に夢中」の緑色の光まであっという間の2時間30分だった。シリアスな曲の裏でひたすら観客を笑わせにかかるベン・パーカーがいい味を出している。

今回いちばん印象に残ったのはこの曲。「Beautiful World」も演奏されたし、エヴァファンは嬉しかっただろう。

手厳しいことを言わせてもらえば、宇多田ヒカルはとっくの昔に全盛期は過ぎているし、肝心の歌だけとってみても高音域はぜんぜん出なくなっている。決して下手ではないけれど、今回のライブは高揚感と同時に衰えも感じさせるものだった。しかし、僕は宇多田ヒカルの歌に夢中になっているのではなく、彼女の創造する音楽に夢中になっているので特に気になりはしない。「Wait & See ~リスク~」に「キーが高すぎるなら下げてもいいよ/歌は変わらない強さ持ってる」とあるではないか。昔のように歌えないのなら、今できる歌い方に合わせて曲を作ればいい。それでリスナーの心には十分に響きわたる。人は老いていくものだし、それは宇多田ヒカルのような才能の塊でも同じ。歌唱力だけで売っているシンガーは衰えてきたらもう終わりである。しかし、宇多田はそもそもが総合的なアーティストなので、これからも老いではなく成熟を見せつけてくれると信じている。

前回の幕張メッセは、Kアリーナよりも音はよくなく(「Forevermore」だったと思うが、ボーカルが割れる場面もあった)、宇多田はまめ粒だったにもかかわらず、初めての宇多田ライブだったこともあり、ひたすら感動した。しかし、今回は感動したというよりも感慨に近いものを抱いたのだった。改めて6年という月日のなかで自分も多少は変わったんだなと感じた。でも、すごく元気はもらった。宇多田がいうように、これからの25年間も頑張っていきたいという気持ちになった。