2010年代洋楽シーンをふりかえる①
個人的な2010年代「洋楽」受容史
前回は「ゼロ年代の洋楽ロック」というところに焦点をあてて、まとめ作業をおこなった。となると今回は2010年代である。おなじようにロックでいくか……とちらっとは考えたけど、それはおよそ不可能であることは目にみえている。記事に書いたように、ゼロ年代にはすでにロックはメインストリームとしての立ち位置をR&Bやヒップホップにあけ渡していたのだから。2010年代のスターを挙げろといわれたら、ブルーノ・マーズ、エド・シーラン、テイラー・スウィフト、ラナ・デル・レイ、アリアナ・グランデ、そしてケンドリック・ラマーといったところになるだろう。このクラスに匹敵する10年代に出てきたロックスターを並べてみせようというのは、どだい無理な話。
しかしジャンルで区分けしようとすると、自分に語りうるのはせいぜいがロック・ポップスのみ。しかしそのうちロックがいかにも貧弱!貧弱ゥ!となると、これはもう2010年代の「洋楽」という、いかにもふわっとした概観におちつくほかない。「洋楽」の紹介って……。「英語の歌」に目覚めた中学生じゃないんだから……と、われながらツッコミどころ満載なのはわかっている。しかし後述するように、2010年代は自分にとって「洋楽」と出会いなおした時代でもあったのだ。
2010年代前半ころは、どこもかしもブルーノ、エド、テイラー、アリアナみたいな感じだった(いまではとても信じられないけど、あのころはテイラーとアリアナが互角の勝負をくりひろげていたみたいなところがあったんだよね……)。でも根がインディー寄りにできている自分は、そのへんのメインストリームには反応しきれず、あいかわらずゼロ年代のUSインディーシーンを深堀りしていくのに余念がなかった。このころだと、2011年に発見したザ・ナショナルとTV・オン・ザ・レディオが最大の収穫。
ラナ・デル・レイ、シャロン・ヴァン・エッテン、セイント・ヴィンセント、ハイム、ロード、バンクスと、いまでも欠かさずチェックするアーティストを見つけたのもこのころだが、みごとなまでに女性ばかり。たんに自分が女性アーティストにばかり惹かれる感性をもっているだけかと思いきや、「女性が強い」というのはあきらかに時代のひとつの流れとしてあった。20年代に入ってもその傾向はたいして変わっていないが、それを象徴するのはデケイドの最後に出てきたビリー・アイリッシュ(2019年デビュー)だろう。
そして2010年代後半、僕は何を聞いていたかというと、ボブ・ディラン、レナード・コーエン、ジョニ・ミッチェル、ロイ・オービソン、ニーナ・シモンなどである。高校生のころは、レディオヘッド経由で80年代UKポストパンクにはまったのだけど、2010年代後半はザ・ナショナル経由で、とりこぼしていた前時代のレジェンドたちにいきついたのだった。「いいものはいい」と思った。時代を超えて支持されるアーティストにはやはり別格のよさがあるのだ。余談だが、ザ・ナショナルのフロントマン、マット・バーニンガーはこういったレジェンドをフェイバリットに挙げる感性のひとで、それがゼロ年代のUSインディーシーンから例外的にここまで大物になれた一因かもしれない。
時代のBGMとしてエドやらテイラーやらも流し程度には聞きつつ、大学時代にインディーズを中心にいろんな同時代の音楽に熱中したが、2015年以降になると自分でもおどろくほど流行というものに関心がなくなっていた。「好きなものを好きなように聞けばいいや」と開きなおったのである。でもいま思いかえすと、流行から目をそむけて古い時代の音楽ばかり聞いていたわりには、「ロック」をきれいに避けているというところでしっかりと時代の波に乗っていたことに気づく。やはり時代の空気というものと無関係に生きることはできない。
そして、学生から社会人になって忙しかったからというのが最大の理由だが、20代なかばころにはすでになじみのあるアーティストの情報をときどきチェックするくらいで、新しいアーティストを積極的に発掘していくのは苦痛にさえなっていた。そんなふうだったから、いまでこそ個人的に2010年代のフェイバリットのひとつであるビッグ・シーフ(2016年デビュー)を発見したのは、なんと2024年だった。ここまでおおきな存在に8年も気づかないでいられるほど、自分はインディーシーンから遠ざかっていたのである。
2022年ころ、「もういちど初心にかえって洋楽にたいする情熱をとりもどしたい」という思いもあって、このブログをはじめてみた。自分にとっては歌詞対訳をしたり、洋楽紹介の記事を書いたりといったことが、洋楽と向き合うモチベーション維持になるのである。古い音楽はつねに自分がたちかえるべきものであると思っていて、今年に入ってからはサイモン&ガーファンクル(およびポール・サイモン、アート・ガーファンクルのソロ作品)のよさにあらためて気づいたし、最近ではローラ・ニーロにはまっている。
ということでまとめると、僕にとっての2010年代は、前半はインディーズの音楽をひたすら発見していき、後半は自分の洋楽人生のルーツである古い時代のレジェンドたちに回帰していったということになる。メインストリームの音楽にリアルタイムに反応することはほとんどできなかった(ここで取り上げているアーティストは、数年遅れでそのよさに気づいたというのもいくらか含まれている)。けれども、テイラーやエドなどは2020年代に入ってからインディーズ寄りの作品を出すようになり、それでようやくよさがわかるようになってきた。
2026年のいまは、ロックというひとつのジャンルにこだわるよりはむしろ、「いまの10代・20代はどんな音楽に興味があるのか」とか、「この曲が流行っている要因としてどのような社会的背景がみいだせるか」といった俯瞰的・分析的な視点から洋楽と向き合うことも多くなってきている。そういう音楽の楽しみ方ができるとは、10代のころには思いもしなかったね。
2010年(平成22年)
大学受験のための勉強に追われていた。しかし、いきなり勉強しようとしてもやる気が出ない。そこで手はじめに部屋を掃除し、雰囲気を出すためにジャズをかける。ハードなやつだとうるさすぎるので、ビル・エヴァンスとかレッド・ガーランドとか、超絶技巧ではないピアノものを。するとだんだんやる気が出てきて……なんてことはなく、そのまま一向に手は動かず、ただ単に部屋がきれいでおしゃれになっただけという馬鹿みたいなことをくりかえしていた。
この年にデビューしたのがブルーノ・マーズ。それからじつに16年の月日が流れ、最新作『The Romantic』を引っ提げて、来年1月に全国6都市の大型ツアーを敢行することが発表されている。まあでもいま現在、世間はマイケル・ジャクソンの映画に耳目をうばわれていて、ブルーノ・マーズなのに話題性が薄い気がする。『マイケル』は『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)の世界興行収入をすでに超えたとかいう話だけど、そりゃ不滅のキング・オブ・ポップだからね。
♪ブルーノ・マーズ「ジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー」(Just the Way You Are)
この年はブルーノ・マーズが出てきた以外にとくにいうことがないが、それじゃあんまりなので、「音楽の聞き方」にすこしふれておきたい。2010年代は音楽を聞く環境じたいがおおきく変化した時代でもあった。個人的には10年間を通じて普通にCDを買って聞いていたのだけど、アメリカではそれはすでにゼロ年代の時点で古くさい行為になっていた。まずダウンロード配信がはじまり、SNS型(YouTubeなど)、それからサブスクリプション型のストリーミング・サービス(SpotifyやApple Musicなど)に移行していった。いまだにCDが売れる日本は世界的にみてレアな音楽マーケットなわけだが、さすがにコロナ禍以降、サブスクが社会的に浸透しつつある。
その一方でとっくの昔に廃れたはずのレコードがブームになり、ついにはCDの売り上げを超えるという興味深い現象が世界じゅうで起きている。その背景には大なり小なりTikTokやInstagramといったSNSでの流行が存在しているわけだが、ようはデジタル方式とアナログ方式の両方に反応できるというのがいまの20代~30代の感性なのだろう(僕の知る10代後半の若者たちのなかには、いにしえの機械であるiPod Classicをわざわざ中古で買って音楽を聞くということをしている奇特な者さえいた)。
でも質的な差はたしかにあるのだ。レコードには人間に聞き取れない音域も記録されているというし、ためしにおなじ作品をデジタルとレコードで聞き比べてみると、レコードのほうが全体的に音が柔らかく、広がりがあるように聞こえる。いうまでもなく質感は音楽の重要な要素だから、そこにこだわりたければこだわってもいいし、ストリーミングで手軽にさっと聞いてもいい。そういった音楽との向き合いかたを自分で選べるということが豊かさなのだと、自分なんかは思う。このままいくとCDが真っ先に淘汰されそうだけど、世代的に愛着をもてるのはレコードよりもCDなんだよなあ。昔はカセットテープとかMDとかも普通に家にあって聞いてたんだった。
2011年(平成23年)
大学に入学。高校時代はレディオヘッドとその周辺(とりわけザ・スミス)、ニルヴァーナを中心に、ゼロ年代のガレージロック・リヴァイヴァルのバンドたち、80年代UKニューウェイヴあたりに熱中していたが、ある意味ロックにはちょっと飽きてしまって、大学以降はジャンルにこだわらず気に入ったものを聞くことが多くなった。この「ロックに飽きる」ということじたいが時代の流れとリンクしていることなど、その当時は気づきもしなかった。
大学に入るとまず、ゼロ年代インディーロックの最良の部分を発見した。TV・オン・ザ・レディオの『Dear Science』(2008)、ザ・ナショナルの『Boxer』(2007)という2枚のアルバム。TVOTRという音楽オタク集団は最高に刺激的だったし、ザ・ナショナルは単純にいえばR.E.M.+ジョイ・ディヴィジョンだったのが、いまでは堂々たる風格さえかんじさせる存在になっている。
ブラック・キーズは新人でもなんでもないけど、この年に出た『El Camino』はかっこよかった。クラウド・ナッシングズ、ハウラー(Howler)みたいなパンクないしガレージロックのバンドも出てきたけど、このへんはガレージロック・リヴァイヴァル直系の遺伝子をそなえている。こういうのを聞いていると、「ロックってまだまだいけるやん!」という気分になる。レトロ・ソウルになるけど、メイヤー・ホーソーンの『How Do You Do』、これはとろけるようにスウィートで、文句なくすばらしいアルバムだと思ったね。これとか、デイヴ・シーテックのプロデュース作品の影響で、一時期ヒップホップを聞きあさったりもした。
♪ザ・ブラック・キーズ「ゴールド・オン・ザ・シーリング」(Gold on the Ceiling)
エド・シーランが『+』でデビューを果たしたが、リアルタイムでは惹かれず。なんならアデルのほうが好きだったよ。でも時代のBGMはゴティエ(Gotye)の「Somebody That I Used to Know」だったんだな。残念ながら、ゴティエさん本人はすっかりSomebody That I Used to Know(かつて僕が知っていた誰か)になってしまった一方で(笑)、オーストラリアはAC/DCとかINXS以外にもちょくちょくおもしろいものを見かける国という認識が生まれたのだった。
♪ゴティエ「サムバディ・ザット・アイ・ユースト・トゥ・ノウ」(Somebody That I Used to Know(feat. Kimbra))
英語圏の音楽だけでなく、フランス語の授業をとっていた関係でセルジュ・ゲンスブールやザーズ(Zaz)、セシル・コルベルもよく聞いた。語学に向いているのかは知らないが、ゲンスブールの「Chanson de Prevert」(プレヴェールの歌)はNHKの語学番組で使われていたし、その番組をとおしてザーズ(イザベル・ジュフロワ)に出会った。いまに至るまで僕はずっとこの人のファンである。
♪ザーズ「ジュ・ヴー」(Je veux:英語だとI Wantの意味)[『Zaz(邦題:モンマルトルからのラブレター)』(2010)に収録]
2012年(平成24年)
なんといってもラナ・デル・レイが『Born to Die』でデビューした年。テイラー・スウィフトが地球最強のポップアイコンになるのも想像できなかったくらいだから、とうぜんラナもここまで化けるとは思わなかった。なんかキッチュでメンヘラをきどってるやさぐれた女性が、郷愁を呼び起こすウェルメイドなポップスをやってるみたいな?(対極には「I Was Born to Love You」の人がいる笑)その程度の認識しかなかったのだけど、とりあえずよく聞いたものだった。いかにも安っぽいヒップホップ風味はわざとやってるんだろうけど、むしろ「郷愁」の部分こそがこの人の本領だったのだということがセカンド以降で判明する。
でもその「郷愁」なるものは、とうぜんラナじしんも生きたことがない時代のイメージからなりたっており、そういうものを意図してつくり出せるというところに、したたかさと、たいへんな実力とを感じるわけだ。日本人の自分ですら懐かしい感覚にとらわれるのは、いったいどういうわけだろう。懐かしさは「つくり出す」ことができるのである。ケイティ・ペリーの『Teenage Dream』、カーリー・レイ・ジェプセンの『Kiss』といった作品も2012年リリースだが、自分としては『Born to Die』の印象しかない。
♪ラナ・デル・レイ「サマータイム・サッドネス」(Summertime Sadness)
USインディーだと、ダーティー・プロジェクターズの『Swing Lo Magellan』、チェアリフトの『Something』が大きな収穫だった。チェアリフトおよびキャロライン・ポラチェクは、はっきりいってアメリカの音楽っぽくない。このいかにもオタク受けしそうな無国籍ポップスは、Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅのそれに近いところがあると思う。ただし、このデュオは完璧にプロデュースされた世界観みたいなものが欠如していて、そのせいでエモいんだけどなんかちょっとよくわからん、という位置にきれいにおさまっている気がする。
♪チェアリフト「アイ・ビロング・イン・ユア・アームズ」(I Belong in Your Arms)
UKに目をうつすと、マムフォード&サンズの『Babel』、エクスラヴァーズ(Exlovers)の『Moth』(現時点でアルバムはこの1作品のみ)、The xxの『Coexist』がよかった。ジ・エックス・エックス(The xx)は、いまではジェイミーxxもロミーもそれぞれソロ活動に移ってしまったわけだけど、いつまでたっても存在感が薄れないね。ロミーはトレイシー・ソーン(エヴリシング・バット・ザ・ガール)の現代版みたいな声・歌い方のひとで、これほど存在を主張するのは、空間の使い方がうますぎる曲づくりに秘訣がありそうだ。オーストラリアからはテーム・インパラを挙げておきたいが、当時はサイケなジョン・レノン?くらいの認識しかなく。2015年の『Currents』でようやくよさに気づいた。
♪ジ・エックス・エックス「サンセット」(Sunset)
2013年(平成25年)
とにもかくにも女性アーティスト・女性ボーカルバンドが大豊作だった年。
ドーター『If You Leave』(3月18日、4AD、全英16位、全米97位)
チャーチズ(CHVRCHES)『The Bones of What You Believe』(9月23日、Virgin、全英9位、全米12位)
ロンドン・グラマー『If You Wait』(9月26日、Ministry of Sound、全英2位、全米91位)
ロード『Pure Heroine』(9月27日、ニュージーランド1位、全英4位、全米3位)
ハイム『Days Are Gone』(9月27日、Polydor、全英1位、全米6位)
*もうひとつ突きぬけることができなかったガブリエル・アプリン(Gabrielle Aplin)、アルーナジョージ(Alunageorge)もこの年にデビュー。
こんなにも個性的で、しかも実力をそなえた面々がそろう年がほかにあっただろうか。象徴的なのはロード。自分で曲を書き、オリジナルなことばで作詞ができる17歳が、英米ではなくニュージーランドという辺境から出てきてインターナショナルな成功をおさめるあたり、時代は変わったなと思った。Z世代の価値観を高らかに歌いあげる「Roylas」は、自分みたいなY世代後期の人間でもひじょうな共感をおぼえる。
♪ロード「ロイヤルズ」(Royals)
いかにも4ADといった感じの儚い空気をまとったドーターと、ミニマルかつ陰影に富んだサウンドが魅力のロンドン・グラマーは、自分のなかでは対になるイメージ(チャート成績的に、どちらも完璧にイギリス人向けなのがよくわかる)。UKインディーシーンだと、最近はドライ・クリーニングとかブラック・ハニーとかこれまたアクの強い女性ボーカルバンドが出てきているので、埋もれないようにがんばってほしい。やっぱり20歳そこそこで耽溺していたバンドにはいまだに思い入れがあるのだ。チャーチズはローレン・メイベリーがルックスも歌声もキュートなせいだろうか、歌詞はけっこう文学寄りなのに、子どもじみて聞こえる。でもカラフルでイノセントな1stを聞いていると無性にワクワクしてきて、彼女たちもまた自分の青春の1ページにしっかり刻まれているのだとわかる。
♪チャーチズ「ザ・マザー・ウィー・シェアー」(The Mother We Share)
ハイムは、デビュー作から「日々は過ぎ去った」ってまだ若いだろうに……それにこの風貌でいわれても……的なおもしろさがある。左から長女エスティ・次女ダニエル、末っ子アラナの三姉妹で、ユダヤ系という属性が多いバンド。メインボーカルはダニエルだが、この曲ではヴァースを主にエスティ、コーラスをダニエルが担当し、徐々に盛り上げていき、最後は全員で歌うというような工夫のある構成。シリアスになりすぎず、こういう親しみやすいかんじっていいよね。
♪ハイム「デイズ・アー・ゴーン」(Days Are Gone)
インディーズだと、ヴァンパイア・ウィークエンドが『Modern Vampires of the City』を放ち、ここから怒涛の3作連続全米1位という快挙を達成する。個人的には2nd『Contra』(2011)がいちばん好き。いまの日本でたとえると、ノリがMrs. GREEN APPLEといっしょ。メジャー路線はちょっと賑やかすぎじゃないか。ただ、「Step」は最高に美しい曲だと思う。ハイムの1stとおなじくアリエル・レヒトシェイドがプロデューサーだから(?)、トータルな音づくりだけでなく、この曲の最後で挿入されるエフェクト・ボーカルは、ハイムの「My Song5」の「Honey, I’m not your honey pie」とおなじに聞こえる。
♪ヴァンパイア・ウィークエンド「ステップ」(Step)
2014年(平成26年)
大学生活最後の年という黄昏。ボブ・ディラン、レナード・コーエン、ジョニ・ミッチェル、ロイ・オービソン、ニーナ・シモンあたりを聞きはじめた。来たるべき新生活を前に、「はたして自分の大学生活はこれでよかったのか?」という思いがなぜか懐古趣味と結びついた……わけではないけれど、じっさい卒論執筆に追われていると、いまふうのキラキラしたサウンドはうっとうしく感じられたところがあったかもしれない。とうぜん、こういったレジェンドたちを一年で吸収するのは不可能であり、以後、2010年代の終わりまで断続的に聞きつづける。
リアルタイムだと、シャロン・ヴァン・エッテンの『Are We There』、セイント・ヴィンセントの『St. Vincent』、ウォーペイントの『Warpaint』あたりがすこぶるよかった(セルフタイトルが2作。アーティストが自分の名前をアルバム名にするときは本気を出してきてるので、大体いい作品であることが多い)。またアリアナ・グランデは前年のデビューアルバムから間をおかず『My Everything』をリリースし、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いというところだった。ネクスト・マライアとまでは思わないけど、じっさい歌は抜群にうまいし、プロダクションもしっかりしてるんで、アリアナはけっこう好き(コールドプレイが「A Sky Full of Stars」みたいなEDMをやりだしたときは、正直うんざりしたけれど……)。
♪アリアナ・グランデ「ブレイク・フリー」(Break Free (feat. Zedd))
そして忘れがたいのがバンクスの『Goddess』。いちばん近いところだとアリーヤかなと思うけど、それにしてはダークすぎてベス・ギボンズ(ポーティスヘッド)を彷彿とさせる。「リズム・アンド・ブルーズ」の「ブルーズ」におかれている比重が大きい。オルタナティブR&Bというジャンル名は、つまりはこういう新しい傾向のアーティストを分類するために考案され、2010年代の代表選手としてはフランク・オーシャン、ザ・ウィークエンドあたりを挙げておけば十分だろうけど、こういう個性の持ち主もいたことは記憶しておきたい。個人的にバンクスは好きすぎて、アーティスト紹介記事もつくってしまった。興味のある方はチェックしていただけるとありがたい。
♪バンクス「ドラウニング」(Drowning)
でも最終的にはセイント・ヴィンセントがいちばん印象に残った年だったかな。なんというか、ほんとにアーティストをやってる人だよね。どんなセンスしてるんだ、これ。世界観はデヴィッド・バーンだけど、変なことをしながらもきっちりポップにまとめてくる手腕は、ミツキとも共通するところがあると思う。もっとも、ミツキは特殊な文化的バックグラウンドをもった人なので、その音楽はいい意味でも悪い意味でも、無国籍的なニュアンスがつよい。2010年代後半以降、フィービー・ブリジャーズやビリー・アイリッシュなど、その音楽を理解するのにかならずしもアメリカ文化の理解を必要としない、それゆえにSNSで拡散しやすい性質をもったアーティストが台頭してきているように思う。ミツキもまたそうしたアーティストのひとりだが、こういったひとたちを本格的に扱うのは次回に持ち越すこととしよう。
♪セイント・ヴィンセント「ディジタル・ウィットネス」(Digital Witness)






ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません