2010年代洋楽シーンをふりかえる②

2026年7月19日

前回の投稿のつづき。例によってその年ではなく、あと追いでチェックした楽曲をとりあげたりもしているが、要は部分的に捏造された個人的洋楽受容史なのである。某大国の大統領の出現以降、時代はポスト・トゥルースへと移行したから、名もなき個人のこのくらいのズルは許されてしかるべきだ。

物事の渦中にいるときは状況がうまく把握できなくて、あとになってようやくなんだったのか飲みこめるというのは世の常である。音楽とて例外ではない。2015年から2019年を扱う今回は、2010年代前半を扱う前回と比べると、聞いた作品の数じたいはおおきく減っている。でもそのぶんじっくり聞いていたのか、いざ文章にしようとすると気持ちが高揚するのは今回のほうだった。

2015年(平成27年)

大学院に進学。学生時代というモラトリアムはまだまだつづく。まじめに勉強するかたわら、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んで孤独にふけったりしていた。必要にせまられてスタンダールの『パルムの僧院』、ドストエフスキーの『白痴』とかも読んだけど、趣味でしかないガルシア=マルケスがいちばんおもしろかったんだよね。

この年の最重要作品はケンドリック・ラマー『To Pimp a Butterfly』以外にはありえない、というのが批評家たちの満場一致の見解だと思う。僕も大学時代にはヒップホップにけっこうはまったこともあったし、ラマ―の優等生的なところが若干気になりつつも、このアルバムがトータルな作品として他の追随を許さない出来であることには疑いをいだかなかった。

♪ケンドリック・ラマー「オールライト」(Alright)

でもねえ……。「すげえ、かっけえ!」と表面的には思えても、ケンドリック・ラマーおよびこのアルバムが未来においても語り継がれていくのかどうかは、自分には正直なところ判断しかねる。けっきょくのところ、僕もまたメロディ+リズム+ハーモニーの組み合わせを好ましくかんじる典型的な日本人であり、独特の文化から成り立っているヒップホップには、いまいち入っていけないところがあるのだ(ブレイクダンスを見るのは好きだけど)。

英米ではみんな満場一致で「すげえ、かっけえ!」なケンドリック・ラマーにはある種の抵抗をおぼえる一方で、プリンスの現代版みたいな、そしてそれゆえに変態っぽい(笑)ミゲルは完全に自分好みだった。トラップを取り入れた曲とかもあるけど、やっぱり根っこはR&Bやロックにある人だし、僕はそういうのに安住しがちなのだ。

♪ミゲル「コーヒー」(Coffee)[クリーン版。オリジナルはCoffee(F***ing)という曲です笑]

UKに目を向けると、リアン・ラ・ハヴァス『Blood』もよかった。マイケル・キワヌカなんかとおなじで(ふたりとも2012年デビュー)、ずっと聞いてるとだるいところもあるんだけど、すごく端正で誠実な音楽だ。UKからは定期的にこういうタイプのミュージシャンが出てくるね。最近だとオリヴィア・ディーンとか(海の向こうにはオリヴィア・ロドリゴがいて、奇しくもいまはふたりのオリヴィアの時代なのがおもしろい。いっしょにオリヴィア・ニュートン=ジョンのカバーとかやってくれないかな笑)。

ブラック・ミュージック以外のところだと、ルーシー・ローズの『Work It Out』、ナターシャ・クメト(Natasha Kmeto)『Inevitable』カート・ヴァイル『b’lieve i’m goin’ down…』が記憶に残っている。カートはカートでも、コバーンとちがってゆる~い雰囲気できかせるカート・ヴァイルは、自分的にはかなりツボだった。こういうインディーフォークというのか、オルタナティヴ・ロックというのか、ジャンルわけがむずかしいながらも、まちがいなくアメリカという土地に根ざした音楽は、ザ・ナショナルが好きな自分には、やっぱり好ましいものと思える。

♪カート・ヴァイル「プリティ・ピンピン」(Pretty Pimpin)[タイトルは「かなりイケてる」といった意味のスラング。]

2016年(平成28年)

10月にボブ・ディランがミュージシャンとして初のノーベル文学賞を受賞する一方で、1月にデヴィッド・ボウイが、4月にプリンスが、11月にレナード・コーエンがあいついでこの世を去った。

ボウイは『The Next Day』(2013)を引っ提げてのカムバックに感激したものだったし、プリンスは大学に入ったころに『Purple Rain』(1984)だとか『Sign o’ the Times』(1987)だとか名盤を中心にじっくり聞いていたのもあって、ほんとうに悲しかった。

コーエンについては、この時点では「Hallelujah」(ハレルヤ)が入った『Various Positions』(1984)くらいしかまともに聞いていなかったのだが、深遠かつ荘厳な遺作『You Want It Darker』があまりにもすばらしかったので、1st『Songs of Leonard Cohen』(1967)から11th『Dear Heather』(2004)まで入って3000円という破格のボックスセットを買ってまじめに聞きはじめた。ゼロ年代はおおむね停滞していたコーエンは、2010年代に入ってから『Old Ideas』(2012)、『Popular Problems』(2014)、そして『You Want It Darker』(2016)と2年おきに新作をリリースし、そのどれもが傑作、かつ並行してライブ盤を出したりするという、命の最後のかがやきともいえる創造性を発揮したのだった。

♪レナード・コーエン「ユー・ワント・イット・ダーカー」(You Want It Darker)

かれらはいずれも不動のレジェンドなわけだけど、いなくなってみてはじめてその存在感のおおきさというものを認識できたところがある。生と死は世の常であるとはいえ、昨年はブライアン・ウィルソン、スライ・ストーンが亡くなり、さびしい気持ちになったものだった。

またこの年は、4月の熊本地震で被災し(14日、16日ともに震度7の大地震)、自然の脅威をいやというほど思い知らされた。修士2年目なのでこれから本腰をいれて論文を書き、就活をするぞというだいじな時期になって、まずは普通の日常をとりもどすだけで精一杯になってしまった。

この年以降、すでになじみのあるアーティストや、気になる若手アーティストの新作をチェックするにはするが、どうもいまひとつ熱くなれないという精神状態におちいっていった。これは正直に書くが、この年に『Masterpiece』でデビューしたビッグ・シーフを僕は2024年になるまで知らなかった。そうなのだ、ほんらい自分はこの手のインディーズが好きだったはずなのに、学位をとったり、仕事をしたりと身辺が忙しくなるにつれて、だんだん感受性というものがすりへっていった。音楽を聞くことがたんなる「作業」になり、そこに感動がともなわないことが増えていった。

♪ビッグ・シーフ「ノット」(Not) [『Two Hands』(2019)に収録]

エイドリアン・レンカー(Adrianne Lenker)を中心人物とするビッグ・シーフは、バンドとしても2019年には『U.F.O.F.』『Two Hands』という、それぞれ「天」と「地」をテーマとするアルバム2作を、2022年には20曲という大ボリュームの力作『Dragon New Warm Mountain I Believe in You』をリリースするなど、ひじょうに創作意欲が旺盛だ。その一方で、エイドリアンはソロ作品も数作出しているし、そのクリエイティヴィティはちょっとセーヴしたほうがいいんじゃないか?と思えるほど。

「Not」(2019)は「じゃないもの」を列挙することで対極にある真実を浮かび上がらせようとする作詞の技巧性と、尋常じゃないエモさが同居した1曲だ。オリジナルもじゅうぶんエモいが、ライブになるとエイドリアンはことばを叩きつけるようにいっそう激しい感情の発露をしめす。「Nor the boy I’m seeing / With her long black hair」という歌詞のさりげない一節に、なんの衒いも煽情性も持たせていないところがいい。こういう率直さにふれると、逆に性的マジョリティとはなんなのかと考えさせられる。

ミツキについてはリアルタイムで聞いた『Puberty2』のころからのファンだ。アジア系の女性がオール・アメリカンな男性に恋する際に生じる葛藤という、きわめてパーソナルな問題を歌いながら、音楽構造的には初期のPJハーヴェイやニルヴァーナの静と動のダイナミズムを意識的に参照しており、ただの激情型ミュージシャンの枠におさまらない。僕はどうしてもこの曲のインパクトが忘れられないのだけど、若者世代を中心に共感を集めているのはむしろ、「I Bet on Losing Dogs」(2016)とか「My Love Mine All Mine」(2024)のような、すぐれて彼女独特の視点をしめす楽曲群のほうじゃないかと思う。

ちかごろレトロなジャズポップで人気を集めているレイヴェイ(Laufey)がミツキの大ファンだそうだが、そもそもこのふたりは音楽的にはぜんぜん似ていないのに、ともにアジア系ポップスターであること、SNS映えする要素があることを考えると、案外おなじような層に支持されているのかもしれない。

♪ミツキ「ユア・ベスト・アメリカン・ガール」(Your Best American Girl)

そのほか、ビヨンセの『Lemonade』ウォーペイントの『Heads Up』バンクスの『The Altar』フランシスカ・バレンスエラの『Tajo Abierto(スペイン語:タホ・アビエルト)』(2014)レイ・モリスの『Unguarded』(2015)なども印象に残っている。

ビヨンセはそれまでも社会的メッセンジャーみたいな立ち位置でいたけれど、『Lemonade』以降はその姿勢がよりいっそう強まってきている。最新作『Cowboy Carter』(2024)ではビートルズの「Blackbird」をカバーしており、アメリカの黒人女性という立場からすると、とうぜんその意図するところは明瞭だ。ただ、リスナーの世代交代が進んでいるので、「Blackbird」を知らないような若い世代にはべつの意味で興味深いことだろう。

2010年代後半は#MeTooやBLM運動のように、SNSから波及する抗議の声がアメリカじゅうで大きなうねりを生み出していったものだが、このように時代背景と音楽が密接にリンクするということをおさえておかないと、アメリカのポップスはとらえきれない側面が出てくるというのはいまも昔も変わらない。ある意味ケンドリック・ラマ―もミツキもビヨンセも、個人的であると同時に社会に問題意識を投げかける音楽というところでは、共通性を見出すことができるのかもしれない。

2017年(平成29年)

ついにモラトリアムを脱し、社会人になった。ついでに故郷の熊本を離れて、宮崎に移り住むことになった。

カズオ・イシグロのノーベル文学賞は自分としてはかなり意外だった。学部生のころに『日の名残り』を原書で読む授業を取ってたんだけど、主人公の執事スティーヴンズのあまりにも回りくどい語りを苦労して読み進めていくうちに、気づいたらファンになってたね。でも『日の名残り』と次作『充たされざる者』(原書で500ページ超の大作)をのぞけば、彼の長編は抜群に読みやすい。ノーベル文学賞って、ぜんぜんなじみがない作家がとるものだというイメージがあったので、知ってるひとが2年連続でとる賞になるとは思わなんだ。

ひるがえって洋楽の話。ザ・ナショナルの2013年作『Trouble Will Find Me』はくりかえし聞いたものだったが、4年ぶりに新作『Sleep Well Beast』がリリースされ、こちらはグラミー賞にかがやいた。僕のアルバムの聞き方はだいたい決まっていて、まずキャッチーな数曲にはまり、それから全体をくりかえし聞くうちに、するめを噛むようにちょっとずつ地味な曲の味がわかるようになるというものである。ザ・ナショナルはとりわけその手のするめ的なバラードが多い。ロックバンドなのに、最終的にはロックナンバーよりもスロー・バラードのほうに佳曲が多いバンドという気がしてくる。

♪ザ・ナショナル「ギルティー・パーティー」(Guilty Party)

一方で、おなじく4年ぶりの新作となるアーケード・ファイアの『Everything Now』はまあコケたね……。個人的に前作『Reflektor』(2013)はそれほど悪くないというか、むしろ好きな部類だけど、やっぱりそれまでをリアルタイムに経験してきてるファンからすると受け入れがたいところがあるんだろう。ロックバンドがロックじゃないことをしようとすると、だいたいそういう抵抗にあうことになる(『OK Computer』(1997)から『Kid A』(2000)に進んだレディオヘッドも、当時は多くのファンが離れていったことと思う)。まあ『Everything Now』以降のかれらは、正直いって、自分もどう評価したらいいかわからないところがある。いろいろ問題をかかえていて迷走してるし、すくなくとも『Pink Elephant』(2025)は、はじめてかれらのなかで完全な失敗作だと思った。

新しく発掘したところだと、フィービー・ブリジャーズ『Stranger in the Alps』が心の琴線にふれる良作だった。「Motion Sickness」のようなキャッチーなポップソングもあるが、下手すると素通りしてしまいそうなくらい飾り気のない曲がほとんど。とりわけ2020年の次作『Punisher』とくらべるとそういう印象を受ける。彼女のいいところは、独特のかすみがかったようにぼやけたサウンドスケープにあるのだろう。個人的な痛みやトラウマを歌ったものでさえ、その音像を通過するととげとげしさが薄れ、ふしぎと牧歌的にさえ聞こえる。声につつまれる感覚になる。

フィービーはまたザ・ナショナルと親交があり、2023年には「This Isn’t Helping」「Your Mind Is Not Your Friend」「Laugh Track」の3曲でゲストボーカルを務めている。それにジュリアン・ベイカー(Julien Baker)ルーシー・デイカス(Lucy Dacus)からなるスーパーグループ、ボーイジーニアスの一員としても活動している。ハーモニーの美しさにかけてはインディーズのなかでも随一だろう。デュア・リパカミラ・カベロが出てきたのも2010年代後半だが、このように素朴ではあるけれど、手づくりのあたたかさをかんじさせる音楽はなかなかメジャーシーンでは出会えないものだ。

♪フィービー・ブリジャーズ「モーション・シックネス」(Motion Sickness)

ほかに印象に残っているところだと、セイント・ヴィンセントの『Masseduction』リディア・エインズワース(Lydia Ainsworth)の『Darling of the Afterglow』、ローラ・マーリングの『Semper Femina』など。

ローラ・マーリングは初めて聞いたのが「Soothing」だったんで、てっきりなにか妖しいフォークシンガーかと思ってしまった笑 最近はゆったりとしたペースでアルバムをリリースするミュージシャンが増えてきているが、彼女は2017年の時点でオリジナル・アルバムはすでに6作を数えているので、たいへんな働き者である(ミュージシャンは楽曲制作のほかにライブなど他の活動もあるので、新作が出ないからといって働いていないとは一概にはいえないけれども)。でも近年は、大学で精神分析の修士号をとったり、出産や子育てなどプライベートの充実に専念していたようだ。英気を養うことがだいじというのは、そんななかリリースされた『Song for Our Daughter』(2020)や『Patterns in Repeat』(2024)がまたすばらしい作品であることからもわかる。

♪ローラ・マーリング「ワイルド・ワンス」(Wild Once)

2018年(平成30年)

クイーンの映画『ボヘミアン・ラプソディ』が流行った年。クイーンも高校生のときに熱中したけど、いまではぜんぜん聞かなくなってしまったなあ。

ベンチャーズが世に出たときの衝撃はたぶんこんな感じだったんじゃなかろうかというバンド、クルアンビン(タイ語で「飛行機」という意味)。2010年代になってインストゥルメンタル主体のバンドが人気を集めるということじたいは、テーム・インパラのサイケデリック・ポップ(歌はあってないようなもの)の流れのなかで考えると、さほど意外でもないけど。

僕は2nd『Con Todo el Mundo』(スペイン語:コン・トド・エル・ムンド)[ミツキ、フィービー・ブリジャーズにつづいて、またもやDead Oceans所属だ!]から入ったのだけど、聞いてみればわかるようにたいへんにキャッチーで、摩訶不思議で、独特のノスタルジックな雰囲気が魅力的だ。やってることはぜんぜんちがうのに、洗練されていてミニマルな音楽であるという点では、世代的にどうしてもジ・エックス・エックスを連想してしまう。偶然だけど、どっちも女性1人・男性2人のスリーピースバンドだね。

♪クルアンビン「マリア・タンビエン」(Maria También)

つぎに個人的に印象深かったのはミツキの『Be the Cowboy』。なにしろ『Puberty2』(2016)を聞いただけでは、比較的みじかい尺を好み、いかにもアジア的なメロディセンスをもちながらも、音じたいは明確に90年代オルタナの継承者なんだなあくらいの印象しかなかったんで、あれ?と思った。

チープなリズムとは対照的に歪んだギター暴れまくりだったのが、本作ではシンセポップ的な方向へとおおきく舵を切っている。ギターが存在を主張するというよりは、あくまでポップな全体を構成する一要素にまで後退しているというか。ある意味、セイント・ヴィンセントとおなじような展開をたどっているわけだけど、ミツキはどんなときでも音楽にしっかり率直な感情をふくませているところに、自分は好感をおぼえる。

♪ミツキ「ウォッシング・マシーン・ハート」(Washing Machine Heart)

ほかにこの年のアルバムではホリー・ミランダ『Mutual Horse』、ルルク(Luluc)『Sculptor』を挙げておきたい。ホリーはぜんぜん知名度がない人だけど、僕は偏愛している。2015年のセカンドよりも幅は広がっているが、基本的な路線は変わらずといったところ。ルルクは、フィービー・ブリジャーズとおなじようにザ・ナショナル関連で知った。この美しく静謐な音楽をつくるデュオは、ザ・ナショナルの「Pink Rabbits」(2013)の作曲の一部を手がけているのだ。

2015年のケンドリック・ラマーのところでふれたように、僕はヒップホップがそれほど好きではないし、それゆえに守備範囲でもない。でもトラップの本場・アトランタから出てきたミーゴス、かれらの『Culture』シリーズにはけっこうしびれたね。単純に、聞いていて気持ちがいいのだ。よくよく考えると、自分は「だれもが口をそろえて認める巨人」というのに苦手意識があって、ジャズでもマイルズ・デイヴィスとかジョン・コルトレーンあたりはどうもよくわからない。いろいろ書いたけど、ラマ―もそこでひっかかってるだけかも?

♪ミーゴス「ウォーク・イット・トーク・イット」(Walk It Talk It (feat. Drake))[フィーチャーされているドレイクは、最近ケンドリック・ラマ―とバチバチのバトルをくりひろげていましたね……]

2019年(平成31年/令和元年)

平成から令和へ。2010年代最後の年を象徴するのは、ビリー・アイリッシュということで異論はないだろう。

彼女のなにが特異かというと、兄のフィニアス・オコンネルとふたりだけで楽曲制作をしているというミニマルな体制もだけど、それ以上にインディーズ的感性がここまで若者世代に浸透しているというのをはっきりと証明してみせたところ。ゼロ年代以降に10代でデビューした主な女性アーティストをたどってみると、アヴリル・ラヴィーン、テイラー・スウィフト、アデル、ロード、アリアナ・グランデとかなんで、そこにビリー・アイリッシュが加わるというのはやっぱり潮目が変わったなと感じられる。

もちろん、ミツキ、エイドリアン・レンカー(ビッグ・シーフ)、フィービー・ブリジャーズ、クレイロなど、90年代生まれのインディーアーティストが活躍している状況は当時すでにあったけども、活躍しているということは若者世代にそれなりに支持されているということであり、ビリー・アイリッシュの規格外すぎる成功は「インディーズ的感性の一般化」を決定づける出来事だったと思う。2020年代にはいり、テイラー・スウィフトが戦略的に(?)インディー路線に進んだり、オルタナ的感性を有するポップスター、オリヴィア・ロドリゴが出てきたりしている。若者世代の意識のなかでは、もはやメジャーとインディーズの区別などあってないようなものになりつつあるようだ。

♪ビリー・アイリッシュ「バッド・ガイ」(bad guy)

ほかにクレイロのデビュー作『Immunity』(コロナ・パンデミック直前に「免疫」という意味のタイトルがつけられたのは、奇妙な偶然だろう)、ワイズ・ブラッド(Weyes Blood)『Titanic Rising』などおもしろいのはいくつかあったが、自分にとってはやはりラナ・デル・レイである。アルバムタイトルから4レターワードを使っちゃうのはこのひとにとっては平常運転だが、その中身はすばらしい。「Doin’ Time」はサブライムのカバーだけど、違和感なくばっちりはまっている。でもこういうお得意のヒップホップ的なキラーチューンを抜きにしても、いいアルバムであることは変わりない。

文学の話をしておくと、アメリカには「偉大なるアメリカ小説」(The Great American Novel)という伝統的な概念がある。アメリカ人によって書かれ、アメリカのすべてを体現するような小説ということで、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』などがしばしば引き合いに出される。でもこれはあくまでも理想の話であって、「偉大なるアメリカ小説」はまだ書かれていないということになっている。

この考えを敷衍してみると、「The Best American Record」というのも理想の話だし、したがって「その次」(The next)というのも架空のものでしかない。でもこの歌には「We were so obsessed with writing the next best American record」という一節があり、あたかもいまはない古きよきアメリカ=The Best American Recordにつらなるものを、自分はつくりあげてみせるとラナが表明しているかのようだ。いずれにせよ、見果てぬ夢をどこまでも追いつづける精神性が、アメリカ文化のコアにあるのはまちがいないことと思える。

♪ラナ・デル・レイ「ザ・ネクスト・ベスト・アメリカン・レコード」(The Next Best American Record)

それからシャロン・ヴァン・エッテン『Remind Me Tomorrow』。フォークソング主体の初期作品から、2014年の『Are We There』では鍵盤楽器を主体に空間的な広がりをかんじさせる作風に変化し、それをさらにおし進めたこのアルバムもまたすごくよかった。3rd『Tramp』(2012)に「Leonard」という曲がある。レナード・コーエンのことだが、といっても歌詞はコーエンと直接の関係はなく、その当時よく聞いていたコーエンの音楽にインスパイアされて名づけたられたとのこと。シャロンの音楽がレナード・コーエンのそれに似ているとは思わないけど、すくなくとも愛憎が主たるテーマであるところには類似性が見出せる。おそらく彼女は今後もずっと、愛憎どろどろの暗くて深い歌をつくりつづけるだろう。僕はそんな彼女にどこまでもついていく所存である。

♪シャロン・ヴァン・エッテン「セヴンティーン」(Seventeen)

おどろきだったのは、ザ・ナショナルの『I Am Easy to Find』。グラミー賞をとった前作『Sleep Well Beast』からわずか2年のスパンでのリリースである。それまでは3年とか4年おきに新作リリースというペースだったので、このころはマットのメンタルも比較的安定し、バンドとしてのクリエイティヴィティも高まっている時期だったのだろう。

内容的に前作が「闇」だったのにたいし、本作はわかりやすく「光」である。明るくゆったりとした雰囲気がアルバム全体をつつんでいる。さまざまな女性アーティストをゲストボーカルに迎え、さらには合唱隊まで起用しているためと思われるが、これは後期のレナード・コーエンにはいつも女性バックボーカルがついていたのとおなじだ(天使的な歌声をひびかせるウェブ・シスターズ)。リサ・ハニガン、ディス・イズ・ザ・キット(ケイト・ステイブルズ)、ミナ・ティンドルはこの作品をとおして知った。とくにリサは2016年の『At Swim』がすばらしい。これもまたアーロン・デスナーのプロデュース作である。

♪ザ・ナショナル「ライラン」(Rylan)

ザ・ナショナルで明るく終えたつもりだけど、承知のように2020年になると、新型コロナウイルス感染症の大流行で世界はめちゃめちゃになる。個人的には仕事量が激増して文字どおり殺されそうになったので、正直、思い出したくもない。2020年代のふりかえりは、まあ4年後にまだ音楽に興味が残っていればやるかも?

洋楽

Posted by Kenny