RadioheadとThe Nationalについて

2024年3月17日

そもそも洋楽が好きということでこのブログを立ち上げて誰の役にも立ちそうにないことをあれこれ書きつづっているのだけど、そんな僕の洋楽人生にとって特別な意味をもつロックバンドが2つある。レディオヘッドとザ・ナショナルだ。

どちらもインディーロック・ファンであればまず知らない人はいない、いわばマイナーの中の超メジャーな存在だが、念のため確認しておくと、前者は1992年にイングランド・オックスフォードで結成され、以後ロックというジャンルの再定義を迫るかのような革新的な作品をリリースし続け、全世界的に名が知れ渡っているバンド。フロントマンはトム・ヨーク。

レディオヘッド。左からコリン・グリーンウッド、ジョニー・グリーンウッド、トム・ヨーク、フィル・セルウェイ、エド・オブライエン

(画像の出典:https://mag.digle.tokyo/news/168070)

一方、後者のザ・ナショナルはそれなりの洋楽リスナーであっても知名度はかなり低い存在なのでもうすこしちゃんと確認しておくと、1999年にニューヨーク・ブルックリンで結成され、古きよきアメリカン・ロックを基調とするアルバムを現在までに10作リリースしている実力派バンド。メンバーはオハイオ州シンシナティ出身の5人で、フロントマンのマット・バーニンガー(ボーカル)、アーロン・デスナー(ギター、ピアノ、キーボード)、ブライス・デスナー(ギター、ピアノ、キーボード)、スコット・デヴェンドーフ(ベース)、ブライアン・デヴェンドーフ(ドラムス)。ボーカリスト以外は兄弟が二組というユニークな構成のバンドである。アメリカ本国ではかなり名の通った存在だが、それ以上にイギリスでも熱烈な人気があるようだ。2017年リリースの『スリープ・ウェル・ビースト』(Sleep Well Beast, 2017)ではグラミー賞にも輝いている。古いたとえを持ち出せば、レディオヘッドはビートルズで、ザ・ナショナルはビーチボーイズということになるのかもしれない。ちょうどイギリスとアメリカだし、ビートルズのほうが文化的な影響力の大きさという意味では上に来るだろうし1

ザ・ナショナル。左からアーロン・デスナー、ブライアン・デヴェンドーフ、マット・バーニンガー、スコット・デヴェンドーフ、ブライス・デスナー

(画像の出典:https://www.spin.com/2023/09/the-national-surprise-new-album/)

僕が熱心に洋楽を聴きはじめたのは中学校のときで、ビートルズにいちばん夢中になっていた。おかげで、ビートルズのメロディや歌詞のフレーズの数々は僕の大切な人生観の一部にまでなってしまっている。それから高校生になるともっといろいろなロックを聴き漁るようになるのだが、その時期に一番よく聴いたのがレディオヘッドだった。最初に手に取ったのは『OKコンピューター』(OK Computer, 1997)だったが、これはどう考えても失敗である。いってみれば印象派の絵を好む人が、いきなり抽象絵画が展示されているギャラリーにうっかり足を踏み入れてしまったようなものだ。ロックという言葉からビートルズやローリング・ストーンズ、ディープ・パープルやクイーンなんかを連想する15~16歳の少年にとって、『OKコンピューター』は難解すぎて、いったいこれの何が面白いのかちっともわからなかった。トム・ヨークのあの幽霊みたいに甲高いボーカルは特に好きになれなかった。ということでしばらくは別のものをいろいろ聴いていたのだが、しばらくして『ザ・ベンズ』(The Bends, 1995)を聴いたところ、今度は一発ではまった。2それから当時の最新作『イン・レインボウズ』(In Rainbows, 2007)まで、ビートルズを聴いたときと同じ熱心さをもってたどっていった。たぶん、『OKコンピューター』から離れていろいろ聴き漁ったことで、彼らの個性的すぎる音楽を受け入れる素地が養われたのかもしれない。

『OKコンピューター』収録の「パラノイド・アンドロイド」。とんでもない曲。
トムいわくプログレではないそうだが、どう聴いてもプログレ。
『ベンズ』収録の「ジャスト」。思いつく限りのコードを詰めこんで作ったというギターロック。
『イン・レインボウズ』収録の「ウィアード・フィッシズ / アルペッジ」。
フィルの軽快なドラミングとギターのアルペジオが美しい。

高校時代の最大の収穫はレディオヘッドだったが、そこからザ・スミス、R.E.M.、ジョイ・ディヴィジョン、キュアー、トーキング・ヘッズなどにも手を広げた。もちろんその世代の高校生らしくコールドプレイやストロークスなども好きだったが、今に至るまでより大きく影響を受けたのは80年代のポストパンクやインディーロックである。大学生になると、僕はもはや普通のロックでは満足しない若者になっていた。それでまたいろいろ聴き漁るうちに、何がきっかけだったかは忘れたが、TV・オン・ザ・レディオの『ディア―・サイエンス』(Dear Science, 2008)にいきつき、一発でノックアウトされた。レディオヘッドの音楽的雑種性に加えて、ロックンロールの思わず体を動かしたくなるような強いグルーヴ感がそこにはおよそ完璧な形でパッケージングされていた。何より、彼らの音楽はどれだけ実験性を強めようと、それは最終的に「歌」である点がよかった。レディオヘッドの場合、曲によってはリズムやテクスチャーの実験を追求しすぎるあまり、メロディはあったとしても断片的で、歌詞を見ても抽象的すぎていまいち入り込めないものがあったりする。早い話、「この曲にトム・ヨークはいらないのでは?」というダルさを感じてしまう瞬間があるということだ。3そういうわけで、一時期はレディオヘッドの音楽的インテリジェンスにソウルフルなボーカルを加えたようなTV・オン・ザ・レディオをよく聞いていた。彼らの音楽にポピュラー音楽の未来を感じてさえいた。

『ディアー・サイエンス』収録の「DLZ」。アメリカのTVドラマ『ブレイキング・バッド』でも用いられた。

ザ・ナショナルとはTV・オン・ザ・レディオとほぼ同じ時期に出合っていたのだが、しだいに自分のなかで他のどの音楽でも代えがきかないくらいに存在感が大きくなっていったのはザ・ナショナルのほうだ。正直、TV・オン・ザ・レディオには『シーズ』(Seeds, 2014)が出たときには失望させられた。実験性とポピュラリティの両立という点でレディオヘッドに比肩するバンドだと思っていたのに、この作品で彼らはついに凡庸なガレージロックに流れてしまった。4 ザ・ナショナルの作品で初めて聴いたのは『ボクサー』(Boxer, 2007)だったが、ちょっと聞いただけでこれは素晴らしいとわかった。5 印象としては、R.E.M.とジョイ・ディヴィジョンを足し合わせたようなギターロックだが、ブラスやストリングスが入って重厚感のあるサウンドに仕上がっている。一番目立っているのはブライアン・デヴェンドーフの技巧的なドラミングだが、ザ・ナショナルがあくまでロックバンドであるのは彼の存在によるところが大きい。そして、どうやっても触れないわけにはいかないのがマット・バーニンガーの個性的すぎるボーカル。彼のダンディズムにあふれたバリトンは、僕の知る限りジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスやドアーズのジム・モリソンに似てはいたが、あとになってむしろレナード・コーエンに近いと思うようになった(実際、彼はコーエンやトム・ウェイツ、ニック・ケイヴからの影響を公言している)。 

『ボクサー』収録の「ミステイクン・フォー・ストレンジャーズ」。渋いギターロック。

その後、レディオヘッドのときと同じく、僕はザ・ナショナルのアルバムをこれまた当時の最新作である『トラブル・ウィル・ファインド・ミー』(Trouble Will Find Me, 2013)まで繰り返し、繰り返し聴き続けた。マット・バーニンガーの抒情とノスタルジーに彩られた歌のなかに隠されているなにか真実めいたものをつかみ取ろうとするかのように。それは古いロックやフォークへの愛情とオルタナ的感性が理想的なまでに調和した、まさしくアメリカという国のポピュラー音楽の最良の部分を如実に、的確に伝える音楽だった。そしてあとになって、具体的には『アイ・アム・イージー・トゥー・ファインド』(I Am Easy to Find, 2019)が出たあたりから、ザ・ナショナルとレディオヘッドの類似性をぼんやりと意識するようになった。両者とも自分たちの音楽の個性をしっかりと保ちながら、同時代性を強く感じさせる作品を創造し続けているが、じっさい両者には共通点が多く見つかる。以下、具体的に挙げてみよう。

『トラブル・ウィル・ファインド・ミー』収録の「シー・オブ・ラブ」。
ビデオはロシアのバンドZvuki Muへのオマージュ。
『アイ・アム・イージー・トゥー・ファインド』収録の「ノット・イン・カンザス」。
マットが自らの立ち位置をふりかえる、ゆったりとした佳曲。

①世代的な近さと、それによる音楽的影響。レディオヘッドのメンバーたちはポストパンクやニューウェイヴ全盛の時代に十代の時期を過ごし、90年代にはPJハーヴェイやニルヴァーナ、ペイヴメントなどに象徴される既存の枠組みにおさまらないロック、すなわちオルタナティヴ・ロックの代表格になっていく。ザ・ナショナルのメンバーたちはレディオヘッドのメンバーたちより少し後の世代ではあるが、それでもビートルズやボブ・ディランといった古典はもちろん、ザ・スミスやジョイ・ディヴィジョン、R.E.M.などを共通の音楽的基盤としてもっている。オハイオ州はアフガン・ウィッグズ(「ユーカリプタス」(“Eucalyptus”)の歌詞に彼らへの言及がある)や、ディール姉妹(妹のキムはピクシーズの元ベーシスト、姉のケリーはブリーダーズのギタリストとして特によく知られる)、トゥールのメイナード・ジェームズ・キーナンなど、個性豊かなグループ、ミュージシャンを輩出している土地柄であり、マットとブライアン特にアフガン・ウィッグズに大きな影響を受けているようだ。ブライアンはアフガンの元ドラマー、スティーヴ・アールにドラムの手ほどきを受けてさえいる。

アフガン・ウィッグズの「ターン・オン・ザ・ウォーター」。ザ・ナショナル経由で知ったバンドだが、かなり好み。

②バンドの顔であり象徴であるフロントマンの資質。二人とも内向的なタイプでうつ病を経験しているが、気質が音楽性に強い影響を与えていることを思うと、見逃すことができない事実だ。彼らが何の考えもなしにYeah!と叫ぶことはない。トム・ヨークはギターやピアノを弾きこなし、メタフォリカル(暗喩の多い)でペシミスティック(厭世的)な傾向の強い歌詞を書き、ハイトーンボイスで歌う。マット・バーニンガーは楽器は演奏せず、文学的な香りのする即物的・私小説的な歌詞を書き、バリトンで歌う。村上春樹はふたりの共通項になっている。村上の『海辺のカフカ』には主人公の田村カフカが『キッドA』(Kid A, 2000)を繰り返し聞く描写がある一方で、トムは『ねじまき鳥クロニクル』についてコメントしているし、マットも村上の小説に影響を受けている。トムはジョージ・オーウェルやベン・オクリ(『満たされぬ道』(The Famished Road, 1991)で知られるナイジェリアの小説家)にインスピレーションを得ているのに対し、マットはテネシー・ウィリアムズを愛好している。6 ソロに加えて、トムはアトムズ・フォー・ピースやザ・スマイル、マットはエル・ヴァイというサイドプロジェクトを展開している。

③両者とも独自の音楽性を確立するに至っているが、ともに最初から完成されたバンドではなく、手探りを続けながら自分たちの作品を創造し続けていること。レディオヘッドの『パブロ・ハニー』(Pablo Honey, 1992)には「クリープ」という大ヒット曲が含まれているが、それも含めて今ではこのアルバムの曲がライブで演奏されることもなく、これはザ・ナショナルのファースト・アルバムについても同じことがいえる(ただし、アメリカ人はこのファーストに妙に惹きつけられる人も少なくないようだ)。ちなみに、ザ・ナショナルは自分たちで設立したブラスランド・レコーズからデビュー作を出しており、最初から自分たちの手で作ったもので勝負するんだというはっきりとした気概があったことが伝わってくる。

④レディオヘッドにはジョニー・グリーンウッド、ザ・ナショナルはブライス・デスナーと、クラシックおよび現代音楽の素養をもったブレイン的なメンバーがいること。譜面の読み書きがきちんとできて、ブラスやストリングスのアレンジまでこなせるというのは凡百のバンドにはない強みだ。ブライスについてはアーロンとあわせて二人でひとつの存在のようなイメージがある(顔もいっしょだし)。事実、二人ともバンド活動以外に精力的に映画音楽の仕事にも携わっているが、ブライスのほうがラベック姉妹との仕事である『エル・カーン』(El Chan, 2019)に象徴されるようにクラシック・現代音楽寄り、アーロンのほうはボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンとのプロジェクトであるビッグ・レッド・マシーンを組んでいたりと、インディーロック寄りの印象がある。ブライスとジョニーは共作で『セイント・キャロリン・バイ・ザ・シー』(St. Carolyn By the Sea, 2014)というクラシック音楽作品を出しているが、彼らは音楽家としての資質としては非常に近いものを有しているといっていいだろう。変態的なギタープレイという意味ではジョニーの圧勝であるが。

ブライス・デスナー作曲の「セイント・キャロリン・バイ・ザ・シー」。
指揮はアンドレ・デ・リッダー、演奏はコペンハーゲン・フィル。アーロン・デスナーもエレクトリックギターで参加。

その他、リズム隊(コリン・グリーンウッドとスコット・デヴェンドーフのベース、フィル・セルウェイとブライアン・デヴェンドーフのドラムス)、それにエド・オブライエンのことも書きたいけれど、残念ながらそこまでコメントするだけのリサーチは行えていない。レディオヘッドにはさまざまな魅力があるけれど、そのひとつは複雑なリズムと、それに相反するかのようなグルーヴ感満点の演奏だ。聴いていてぞくぞくしてくる。『キング・オブ・リムズ』(King of Limbs, 2011)は当時イギリスで流行っていたダブステップ風の音になっていて、8曲しか入っていないこぢんまりとした作品だが、インパクトは抜群である。緻密な音づくりに命をかけているインテリ集団なのに、ライブになると理性をかなぐり捨てたかのように野性味あふれる演奏を聴かせてくれるのもいい。ザ・ナショナルのほうはどんなに凝った音になろうとそれは最終的にマットの歌であるし、曲もあくまでボーカルを引き立てるような構成になっているから、レディオヘッドのように演奏そのものの高揚感を感じることは少ない気がする。

『キング・オブ・リムズ』収録の「ブルーム」。もはや現代音楽。

レディオヘッドは『ア・ムーン・シェイプト・プール』(A Moon Shaped Pool, 2016)を最後にもう新譜も出ず停滞してしまっているが、一方、ザ・ナショナルはマットの体調はどんどん悪化しているような気がするのにスフィアン・スティーヴンズ、フィービー・ブリジャーズ、テイラー・スウィフトなどとも交友関係を深めながら、アルバム・リリースは好調である。『ファースト・トゥー・ページズ・オブ・フランケンシュタイン』(First Two Pages of Frankenstein, 2023)と『ラフ・トラック』(Laugh Track, 2023)の姉妹作はレディオヘッドでいうところの『キッドA』と『アムニージアック』(Amnesiac, 2001)の関係に相当するだろう。「次に何を出してくるかがまったく予想できない」のがレディヘッドだが、自分たちのやりたいことをやりながら変化し続け、しかもそれが数多くのリスナーの期待に答えるものであるというのは、当たり前の話だが、並大抵のことではない。もう少ししたらまた世界中のファンをあっと言わせる新作をリリースしてくれるのではないかと思うけれど。

『ファースト・トゥー・ページズ・オブ・フランケンシュタイン』の「ジ・アルコット」。
マットとテイラーによる美しいデュエット。
『ラフ・トラック』収録の「スモーク・ディテクター」。
ジャムセッションのような雰囲気はライブ録音だからだろう。エネルギーに満ちている。

レディオヘッドとザ・ナショナルの2つのバンドの音楽が表現しようしているものは、現代社会を生きる僕たちにとって何か共通して「本当のもの」をとらえることに成功しているように感じる。人間というのはどんなに文明が発展していってもその本質は変わらないものだと思うし、良質な音楽というのもまたどんなにサウンドが変化していってもその本質は変わらないものだ。そして、僕が興味を抱いているインディーロックの中には数多くの良質な音楽が存在するが、その中でもこの2つのバンドは特に「軸のブレなさ」「自己を更新していこうとする意志」という点では傑出していると思う。

長い停滞に陥っていることもあって、今の僕が繰り返し聴きたいと思えるのはザ・ナショナルのほうだ。レディオヘッドには僕の(無駄に暗い)青春の記憶が刻まれていて、その意味でも大事なバンドなのだが、「人はこうやっておっさんになっていくんだな」というのが肌身の感覚としてわかり始めてきた僕にはザ・ナショナルの音楽のほうがより切実に感じられる。自らの意志とは関係なく、ただ生きているだけで人はおっさん、あるいはおばさんになっていく。自分の中の若い要素が減っていき、だんだんおっさん、あるいはおばさん的要素の占める割合が増えてくる(言うまでもなく、それはわびしいことだ)。そうやって中年への道が開けてくると、人間関係の悩みや孤独の問題がよりいっそう大きくなってくるのだが、ザ・ナショナルの音楽は光の届かない海底でつねに強大な水圧を体に受けている深海魚のような現代人の心に、そっと寄り添ってくれるやさしさがあるような気がしている。


参考:各バンドのメンバーと主な担当パート、スタジオ・アルバム


<レディオヘッド(Radiohead, 1992-)>

トム・ヨーク(Thom Yorke, 1968年10月7日生まれ)ボーカル、ギター

ジョニー・グリーンウッド(Johnny Greenwood, 1971年11月5日生まれ)ギター

コリン・グリーンウッド(Colin Greenwood, 1969年6月26日生まれ)ベース

エド・オブライエン(Ed O’Brien, 1968年4月15日生まれ)ギター

フィル・セルウェイ(Phil Selway, 1967年5月23日生まれ)ドラムス

*ジョニーとコリンは兄弟。


<スタジオ・アルバム>

『パブロ・ハニー』(Pablo Honey, 1992, Parlophone / Capitol)

『ザ・ベンズ』(The Bends, 1995, Parlophone / Capitol)

『OKコンピューター』(OK Computer, 1997, Parlophone / Capitol)

『キッドA』(Kid A, 2000, Parlophone / Capitol)

『アムニージアック』(Amnesiac, 2001, Parlophone / Capitol)

『ヘイル・トゥー・ザ・シーフ』(Hail to the Thief, 2003, Parlophone / Capitol)

『イン・レインボウズ』(In Rainbows, 2007, Self-released / XL / TBD)

『ザ・キング・オブ・リムズ』(The King of Limbs, 2011, Self-released / TBD / XL)

『ア・ムーン・シェイプト・プール』(A Moon Shaped Pool, 2016, XL)

レディオヘッドおよび関連プロジェクトの公式サイト:

https://www.wasteheadquarters.com/


<ザ・ナショナル(The National, 1999-)>

マット・バーニンガー(Matt Berninger, 1971年2月13日生まれ)ボーカル

アーロン・デスナー(Aaron Dessner, 1976年4月23日生まれ(兄))ギター

ブライス・デスナー(Bryce Dessner, 1976年4月23日生まれ(弟))ギター

スコット・デヴェンドーフ(Scott Devendorf, 1972年11月7日生まれ)ベース

ブライアン・デヴェンドーフ(Bryan Devendorf, 1975年7月1日生まれ)ドラムス

*アーロンとブライスは双子の兄弟。

*スコットとブライアンは兄弟。


<スタジオ・アルバム>

『ザ・ナショナル』(The National, 2001, Brassland)

『サッド・ソングズ・フォー・ダーティー・ラヴァーズ』(Sad Songs for Dirty Lovers, 2003, Brassland)

『アリゲーター』(Alligator, 2005, Beggars Banquet)

『ボクサー』(Boxer, 2007, Beggars Banquet)

『ハイ・ヴァイオレット』(High Violet, 2010, 4AD)

『トラブル・ウィル・ファインド・ミー』(Trouble Will Find Me, 2013, 4AD)

『スリープ・ウェル・ビースト』(Sleep Well Beast, 2017, 4AD)

『アイ・アム・イージー・トゥー・ファインド』(I Am Easy to Find, 2019, 4AD)

『ファースト・トゥー・ページズ・オブ・フランケンシュタイン』(First Two Pages of Frankenstein, 2023, 4AD)

『ラフ・トラック』(Laugh Track, 2023, 4AD)

バンドの公式サイト:https://www.americanmary.com/

(英語版ウィキペディアによると、americanmaryというドメイン名はファーストアルバム『ザ・ナショナル』に収録されている「アメリカン・メアリー」(“American Mary”)から取られていて、thenationalに変更しそびれてそのままになっているのだという。いやあ、ユルいなあ。)


  1. 大型のニューカマーに「ビートルズの再来」などという安易なキャッチコピーをつけて売り出すのはよくあることで、一番の例はオアシスなのだが、僕は彼らの音楽の何がいいのかさっぱりわからない。個人的に、ビートルズの音楽的革新性に匹敵するのは今のところレディオヘッドだけだと思っている。 ↩︎
  2. 『ザ・ベンズ』は今では音楽雑誌のギターロックの名盤特集なんかではかならず上位に来るアルバムで、ロック的なフィーリングが強い楽曲から繊細かつ陰影に富んだアルペジオ主体の楽曲など、およそギターという楽器に何ができるかを教えてくれる教科書のような作品である。これからレディオヘッドを聴いてみたいという人には、まずこれをオススメする。 ↩︎
  3. ライブでの自己陶酔的なトム・ヨークのパフォーマンスを見ていると、彼は音楽の快楽に身を任せて、音楽と一体化することを望んでいるんじゃないかという気にすらなる。何か意味のある歌を表現しているというよりは、声を楽器の一部にしているというか。レディオヘッドという音楽フリーク集団を象徴しているのは間違いなくトムだが、このバンドは音楽性の観点から他のメンバーにもスポットライトが当たることが多く、民主的な感じがするのも個人的に好きなところである。 ↩︎
  4. そしてこの作品を最後に、彼らは現在に至るまで活動停止状態に陥っている。解散はしていないと思うが、何しろ情報がなさすぎてそれすらよくわからない。 ↩︎
  5. 『ボクサー』はレディオヘッドでいえば『ザ・ベンズ』に相当するアルバムである。掛け値なしにギターロックの名盤として聴くことができる。2018年にはこのアルバムの楽曲をすべてライブで再現した『ボクサー:ライブ・イン・ブリュッセル』(Boxer: Live in Brussels)がリリースされたが、それを聴くとザ・ナショナルがいかにすぐれたギターロックバンドなのかがよくわかる。 ↩︎
  6. 前者は「2+2=5」(“2+2=5”)、後者は「ストリート・スピリット(ファード・アウト)」(“Street Spirit (Fade Out)”)において。マットは具体的には「ドント・スワロー・ザ・キャップ」(“Don’t Swallow the Cap”)、「シティミドル」(“Citty Middle”)など。 ↩︎