【歌詞対訳】”Summertime Blues” / Eddie Cochran

2024年2月7日

エディ・コクラン(1938-60)の代表曲の一つ(1958年発表)。ブルーズ(blues:憂鬱)はもともとアメリカの黒人奴隷たちが日々の暮らしに対する嘆きを表現する音楽ジャンルだったが、そこに躍動的なリズムが加わることでR&Bになり、ロックンロールが成立する基盤となった。そのうちブルーズという言葉じたいも黒人の手を離れて、この曲のように白人の若者たちの不満を表すのに用いられるようになっていった。僕が愛聴する作品の一つにPJハーヴェイの『レット・イングランド・シェイク』(Let England Shake, 2011)があるが、その中に収録されている「ザ・ワーズ・ザット・メイクス・マーダー」(“The Words that Maketh Murder")のアウトロはこんなフレーズの繰り返しで終わる。「私の問題を国連に持ち込んだらどうなるだろう?」("What if I take my trouble to the United Nation?")長年、この印象的なフレーズが頭に引っかかっていて、のちにコクランのこの曲を知って謎が解決した。ちなみに、RCサクセションの曲に「サマータイム・ブルース」があるが、これは原曲の歌詞を反原発のメッセージに置き換えて日本語でカバーしたもの。

“Summertime Blues"(Written by Eddie Cochran and Jerry Capehart)

I’m gonna raise a fuss, I’m gonna raise a holler

About a workin’ all summer just to try to earn a dollar

Every time I call my baby, and ask to get a date

My boss says, “No dice son, you gotta work late"

ちょっくら騒いでやるぜ、叫んでやるのさ

たった1ドル稼ぐのに夏じゅう汗水たらすのはごめんだ

ベイビーに電話してデートしようとするたびに

ボスは言うのさ「だめだ、遅くまで働け」

Sometimes I wonder what I’m a gonna do

But there ain’t no cure for the summertime blues

Well my mom and pop told me, “Son you gotta make some money"

If you want to use the car to go ridin’ next Sunday

Well I didn’t go to work, told the boss I was sick

“Well you can’t use the car ‘cause you didn’t work a lick"

Sometimes I wonder what I’m a gonna do

But there ain’t no cure for the summertime blues

ときどき何をすればいいんだろうと思う

でもサマータイム・ブルーズに効く治療なんてない

おやじとおふくろは言った「すこしお金を稼がなくちゃな」

次の日曜に車を使ってドライブして回りたいのなら

ああ 俺は仕事に行かなかったさ ボスには仮病を使った

「ちっとも働かなかったんだから車を使わせることはできん」

ときどき何をすればいいんだろうと思う

でもサマータイム・ブルーズに効く治療なんてない

I’m gonna take two weeks, gonna have a fine vacation

I’m gonna take my problem to the United Nations

Well I called my congressman and he said “Whoa!"

“I’d like to help you son but you’re too young to vote"

Sometimes I wonder what I’m a gonna do

But there ain’t no cure for the summertime blues

二週間休みをとるぞ、すばらしい休暇を過ごすんだ

この問題を国連に持ち込んでやる

国会議員に電話したら、やつは言った「ほう!」*

「力になってやりたいんだけどね、投票するにはもっと大人にならなくちゃ」

ときどき何をすればいいんだろうと思う

でもサマータイム・ブルーズに効く治療なんてない

*my congressmanのmyはここでは「私の」という意味ではなく、親しみや同情、謙遜といったニュアンスを加える表現。