クラスナホルカイ・ラースロー『北は山、南は湖、西は道、東は川』(早稲田みか訳、松籟社、2006年)

2025年11月22日

以前、アンナ・ツィマの『シブヤで目覚めて』(2021)を取り上げたとき、話の枕として松籟社(しょうらいしゃ)の話題から書きはじめたのだった。ワンパターンはよくないぞと知りつつ、今回もまたその話題からはじめよう。岩波書店や新潮社といった誰もがその名を知る大手ではけっしてないが、いわゆる東欧と呼ばれる地域の文芸に関心があるものにとって、この松籟社ほど信頼のおける出版社もほかにあるまい。最近だと、「東欧の想像力」シリーズの7、イェジー・コシンスキの『ペインティッド・バード』(2011)を読了した(原書は1965年刊行。先行訳としては青木日出夫氏による『異端の鳥』(表記はイエールジ・コジンスキー)が存在する)。目をおおいたくなるような残虐描写が次からつぎに出てくるというふれこみなので、長いあいだ敬遠していたのである(僕は基本的に残虐描写というものが苦手なのだ)。予想どおり、たいへんな苦労をしいられる読書となったが、主人公の少年とともに壮絶な地獄をくぐり抜けたときのすがすがしさは、ちょっと他の本では味わえないなと思った。同時に、ホロコースト文学のなかでもきわめて特異な位置をしめるこの本が、その作家人生をつうじて大きな毀誉褒貶にさらされたコシンスキの、ある意味では不幸の扉を開くことになってしまった理由もよくわかる気がした。

このように、松籟社から出ている東欧文学を僕が好む理由は、一冊いっさつが唯一無二の読書体験をさせてくれるからということに尽きる。もちろん『ペインティッド・バード』のような本を連続して読んでいるとメンタルがもたないので、あいだにちょいちょい軽いものをはさんだりする。それにはベストセラー小説や新書など、できるだけさらっと読めるものが適している。でもしばらくするとまたなにか異国の物語を読みたくなり、そうすると松籟社の本に手を伸ばすというパターンが生じるのだ。言葉の厳密な意味でいくと、日本人である僕からしたら日本以外はすべて異国なわけだけど、メジャーな国々の主要なものはある程度読んでしまっているし、どのような読み方をすればいいのかという枠組みもそれなりに理解している(と思いたい)。だから、ほんとうに見たことも聞いたこともないような場所の物語にふれようとして東欧に行きつくというのは、海外文学ファンであればだれもが一度はとおる道ではないか。

ハンガリーは縁もゆかりもない国といいたいところだが、僕の母はまだ社会主義体制下のころのハンガリーで開催されたカヌー大会に選手として出場するという経験をしているおかげで、幼い頃からなんとなくこの国に親近感のようなものだけはいだいていた。しかしまあ、それだけである。そのままハンガリーとその文化について理解を深めることはないまま時が流れ去っていった。ハンガリー人作家といえば、まっさきに思いつくのは『悪童日記』のアゴタ・クリストフだけど、この人はフランス語で書いている亡命作家という位置づけだし、じっさいその関係でフランス文学史のなかで紹介されることが多い。そうなると、僕はいままでハンガリーの本は読んだことがなかったわけで、今回のクラスナホルカイ・ラースローが初のハンガリー文学との接触となる。クラスナホルカイ・ラースロー。基本的なことではあるけれど、この名前をはじめて見たとき、無知すぎて僕はどちらがファーストネームなのかすらわからなかった。ハンガリー語では日本語とおなじように人名を姓・名の順に表記するので、クラスナホルカイが姓、ラースローが名ということで理解しないといけない。でもこのあたりはけっこうややこしくて、国際的に有名なハンガリー人の場合、たとえばアンドラーシュ・シフなんかは他のおおくの西洋諸国と同様に名、姓の順で表記するのが一般的なのに、ゾルタン・コチシュの場合はハンガリー式だ。ゾルタンは僕にとってはこの表記しかなく、コチシュ・ゾルタンといわれるとなんだかむずがゆくなってくる。

クラスナホルカイは1954年生まれだが、すこし上の先輩にはおなじくハンガリー文学界の重鎮エステルハージ・ペーテル(50年生まれ、2016年逝去)がいる。さらにいえばカズオ・イシグロ(先週『遠い山なみの光』が映画化されましたね)とは同い年だし、ふたつ下には56年生まれのミシェル・ウエルベックがいる。どうもこのあたりの世代は個性のきわだった作家がそろっているようだ。85年に長篇小説『サタンタンゴ』でデビュー。7時間超えの長大な映画があるらしいということは知っていたが、その原作がこれであるとあとから知った次第。2000年代にはいってから作品が本格的に英訳されるようになっていき、評価の高まりとともに2015年には国際ブッカー賞を受賞している。この国際ブッカー賞は英訳された文芸作品が対象となるものだが、2005年の第1回の受賞者がイスマイル・カダレだったこともあり、自分のなかではなぜか東欧文学をたたえるための賞という印象がつよい(受賞者の顔ぶれをみるとぜんぜんそんなことはないのだが)。クラスナホルカイはまたあちこち旅してまわるのが好きな作家らしく、アメリカ、モンゴル、中国などのほか、日本へは97年に初訪問。日本文化との出合いはまさに衝撃的で、彼のものの見方を一変させてしまったらしい。正直、「おるよな、そういう外人」という感想をいだいてしまうのだが、彼は本物であった。それはのちに、2000年と2005年にそれぞれ半年ずつ、国際交流基金招聘フェローとして観世流能楽師のもとに通いながら、京都で寺社建築や日本庭園といった日本伝統文化の研究に打ち込んだというところからも見てとれる(訳者あとがきより)。

2000年に日本に半年滞在した経験から生まれたというのがこの『北は山、南は湖、西は道、東は川』である。ひとことでいえば、驚異的な観察眼と想像力、几帳面さと真摯さをもって書かれたほら話。読みはじめて、なんだろうこの感じは……と思ったが、すぐにイタロ・カルヴィーノの『見えない都市』を想起した(注)。どちらも短い章をつらねていくかたちで進行するし、微視的かつ精緻な描写に重きをおいている、というかそれだけでできているような小説である。ただし『北は山』の舞台は現代の京都であり、タイトルのとおり「北は山、南は湖、西は道、東は川」に護られた寺とその美しい庭をもとめてこっそり逃げ出してきた源氏の孫君なる人物を、供の者たちが捜索するというプロットらしきものはあるのだが、彼らは最初から最後までビールで酩酊していてもはや自分たちの任務がなんだったのか、ここはどこなのか、自分たちは誰なのかといったすべてを忘却している状態である(笑)。それよりも、後半にでてくる、不在の住持が読みさしのまま置いていたサー・ウィルフォード・スタンレー・ギルモアなる人物の『無限の誤謬』という書物についての章、庭園に生えている8本のヒノキの来歴についての挿話、寺の下の地中深く、具体的には地球の内部構造や鉱物についての瞑想など、荒唐無稽としかいいようがないディテールが妙に印象に残る。

(注)ちなみにエステルハージ・ペーテルはカルヴィーノをリスペクトしており、『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし―ドナウを下って―』(2008)では同書からの断片を散りばめるかたちで引用している。

ポストモダンないしポストモダニズムという用語はもともと建築の分野で用いられることばだったことを思うと、寺社建築(とその庭園)が前景化していて、生き物は人間も動物もすべてひっくるめて同レベルにくくられ背景化しているかのような描き方は正しくポストモダン的といっていいだろう。あたりまえだが、小説というとふつうわれわれは「〇〇が主人公で、メインキャラとして××や△△が出てきて~~する話」みたいな、とりあえずは要約をつくることができるものを思いうかべる。この小説はそれの真逆をいっていて、そういった一般的な小説の読み方をしていてもなにがおもしろいのかわからない。ここは自分がおもしろいと思う部分にのみひたすら注意を向けるような読み方をしてかまわない、というかそれが唯一の正しい読み方であるという気がしてくる。

訳者である早稲田みかさんの腕前もお見事。こんな果てしなく延々とつづく文章を読みやすく流麗な日本語に仕上げるのは相当な苦労があったことだろうと想像する。なお、クラスナホルカイは英語圏よりも先にドイツで受容が進んでいて、早稲田さんが翻訳作業をすすめるにあたって適宜参照したのも2005年のドイツ語訳だったらしい。原書が2003年に刊行されてからわずか2年で翻訳されているというのはなかなかのスピードだといえるだろう(もちろん、歴史的にハンガリーとドイツは密接な関係にあるということを考慮してもだ)。そしてドイツ語訳につづいて2006年に出たのがこの邦訳であるが、ほかの主要作品をさしおいてなぜこれが先に訳されたのかというと、それはやはり上に記した作品成立の事情と作品の中身が主な理由であると推測される。そして、2023年にはこの本の英訳(Ottilie Mulzet訳)が出たが、ドイツ語訳刊行からじつに18年後のことであった。国際共通語といえども、資本主義社会においては文学作品もしょせん一個の商品にすぎない。需要がないものは出版社も出したがらないのだ。われわれは下手をすると英語であれば求めている情報がなんでも手に入るのではないかという幻想を抱きがちだ。でも、ことのほか文芸作品の場合は、それを受け入れる土壌ができていなければいつまでたっても翻訳の日の目は見ない。

今回は期せずして、ポーランド語ではなく英語で書くイェジー・コシンスキ、ハンガリー語ではなくフランス語で書くアゴタ・クリストフといった越境文学、それにハンガリー語で書きながら英語圏に先んじてドイツで評価されてきたクラスナホルカイ・ラースローなど、いろいろと考えさせられる有意義な機会になった。とりわけ後者に関連して、僕はこれまでドイツ語といえばドイツやオーストリア、スイスなどを中心とするごく限られた国や地域で話されている言語だと単純に考えていたが、東欧や中欧における存在感の大きさにも気づかされた。周囲をオーストリアやウクライナ、ルーマニアといった7つもの国に囲まれたハンガリーの文学を読むことは、東欧あるいは中欧という地域に住む人々の複雑なアイデンティティや帰属意識について理解を深めることでもあると思う。